11-20 march 2011 in the nest

2011/3/21 (Mon)
20.march'11 @ez「東京」


 今日からいつものダイアリーに。

 東京に行ってきました。
 東北道も、宇都宮まで開通しています。
 途中、被害地へ向かういろいろな車両を
 見かけました。
 トミカでしか見たことがない特殊な消防車や
 いかつい自衛隊の車両、
 コンテナハウスを積んだ住宅メーカートラックの隊列…。
 大型車両が次々と北へ向かって行く。
 いつもの休日に比べて
 圧倒的に一般車が少ないので
 高速道路は空いていました。

 妹の家で近況報告。
 東京の方が品不足が激しいようですが
 妹家族は今のところ、何も不自由はないらしく
 お互い安心しました。
 数ヶ月ぶりにあった中一の姪は165cm、
 高一の甥は178cmになっていて
 びっくり!ちょっと会わない間に
 タケノコみたいに成長してる。
 頼もしいやらうらやましいやら。
 
 宇都宮から東京、
 どこもガソリン渋滞が激しい。
 kz、その中でも比較的列が短かった
 高速のサービスエリアで給油。
 仕事で車は欠かせないkzはともかく
 私はなるべく運転を控えるようにしなくては。
 緊急事態に備えて、少しは残しておかないとならないし。

 今夜の夕食はピザと丸鶏のロティ。
 外で遊ばないせいか、子どもたちの
 食欲も二割減。

 写真は、停電の夜の闇鍋。
 コワーイ…。

 

2011/3/19 (Sat)
19.march'11 @ez「地震が起きたその前後の家族の記録 10 」



 土曜日。
 今日は停電行われないらしい。
 天気が良くて穏やかな一日。
 窓は開けないけれど。

 午後久しぶりに公文にleeを連れて行った。
 案の定4人しか来ていなかったそうで
 いつもより早く切り上げてきました。
 
 帰り道15分ぐらい並んで
 3,000円分のガソリンを入れることができました。

 牛乳やほうれん草の放射能汚染。
 こういうのは風評被害、とは
 言わないのかもしれないけれど
 なんか酷い!と思った。
 誰に対して腹を立てているのか分からないけれど
 一生懸命無農薬やら有機栽培やら
 地産地消や食育を進めてきた人たち、
 それを信じてきた人たちの努力が
 一瞬で消えてしまったような気がする。
 
 それからyoutubeで
 RCサクセションの
 「軽薄なジャーナリスト」「サマータイムブルース」
 「ラヴミーテンダー」を聴いて
 もっと悲しくなってしまった。
 20年以上前、ガンで死にたくねーと叫んだ清志郎の歌は
 20世紀の予言書だったのかなあ。
 彼は、軽薄な国民にはなりたくねーとも叫んでいたけれど
 結局私たちは軽薄な国民だったように思える。

 とても悲しいのに
 なぜかそのつらい気持ちは、そう長くは続かない。
 喉元過ぎれば忘れてしまう。
 便利な暮らしに流されてしまう。
 天災も恐いし、人災も恐い。
 何でも忘れてしまう自分も恐い。
 もしかしてこのダイアリーは
 未来の自分への警告として
 綴っているのかも…
 そんな気がしてきました。

 今夜の満月はスゴイらしいので
 しっかり目に焼き付けてから眠ろうと思います。

2011/3/19 (Sat)
18.march'11 @ez「地震が起きたその前後の家族の記録 9 」



 金曜日。
 地震発生から一週間。
 kzにお弁当をつくって送り出したあと
 息子たちに勉強させたりお手伝いさせたり
 ちょっとだけパソコンで遊ばせたり。
 放置するとダラダラグズグズになってしまうので
 なるべくメリハリある日々を心がけています。

 自分の仕事を中断し
 午後、小学校へ通知表を受け取りに出かける。
 運転中、他の小学校の前を通ると
 通常通り登校しているようで
 児童みんな校庭で楽しそうに遊んでいる。
 休校するしないの判断、多分どこの小学校でも
 ずいぶん頭を悩ませたに違いない。
 どういう判断が正しいのかわからないけれど
 息子たちの小学校が「休校」になったことは
 保護者の負担が増えたり、授業数が減ったりしたけれど
 私にとって有り難い判断でした。

 ちょっと早めに出てTSUTAYAの前を通ったら
 営業再開していたので、迷わず入店。
 彼らが最近激しく夢中になっているドラゴンボールなど
 DVDを5枚とコミック「仁」。
 私もkzもドラゴンボールのアニメに興味はないが
 アメリカで製作され酷評された実写版に
 とても興味があって、密かに楽しみにしているところ。

 小学校で通知表を受け取る。
 なんだかいつも違う手順で誰もが浮き足立っている。
 去年一昨年も新型インフルエンザで
 行事などがキャンセルになったり、と
 最近はスケジュール通りに進行することの方が珍しいのかも。
 
 帰りはスーパーで買い出し。
 とりあえず、今我が家で不足しているものはないので
 いつもと同じ内容の買物。
 もちろん買いだめはしないし、する必要も感じない。

 今夜は6時過ぎから停電予定。
 少し仕事をしてから、お風呂を沸かす。
 夕食はあたたかくない炬燵でキムチ鍋。
 卓上コンロで、明るさと暖がとれ
 一石二鳥かなと思って。
 帰宅したkzが仕事場用のラジオと
 ランプをつけてくれましたが…
 やっぱり雰囲気は「闇鍋」。
 息子たちは暗さに負けて9時前に就寝。

 停電解除後、少し仕事。
 そして楽しみにしていた「仁」を読みました。
 あらすじは、すでに読んでいたkzに聞いていたけれど
 へえ、上手くまとめたなーという感じ。
 面白かった。
 もうすぐ始まるドラマでは多分同じ展開というわけには
 いかなそうだけど、今から楽しみです。

 なんだかまだ余震は続いているけれど
 個人的に困っている事はほとんどない。
 
 それなのに不安、地に足がついていない…。
 
 今はただ理性とか知性より
 自分に残された野生部分を信じたい。
 

2011/3/17 (Thu)
17.march'11 @ez「地震が起きたその前後の家族の記録 8 」



 木曜日。
 「エーシーっていうコマーシャルばっかりだね」と
 leeが言うので、「自粛」という言葉を教えました。
 するとそのACのCMを観ていたyouが
 「あ!この詩知ってる!
 キンコミスズだ」

 う〜ん、それは金子みすずです。

 私自身判断に迷い、息子たちは
 相変わらず軟禁状態。
 室内でサッカーボールを蹴って
 地震でも割れなかったフォトフレームを
 割ったり、とにかくうるさい。
 お互いのためにイライラしないように
 心がけていますが、いつまで持つことやら。
 
 私がこんなに迷っているのに
 fuはいつも通り、自転車に乗ってテニスへ!
 迷いがないのがうらやましい…。
 
 午後から停電になる予定なので
 ふたりにパソコンで少しだけ
 ゲームを許可したら大喜び。
 珍しくケンカもせずに仲良く
 キャッキャッと遊んでいる。

 お昼ご飯を食べ終わった頃、予定より少し遅れて停電。
 macでの仕事ははできないので
 小学校の教科書、ノート、プリントなどの片付け。
 あまりに大変な作業になってしまい、
 気が付いたら停電も終了していて
 leeのピアノのレッスンの予定すらすっかり忘れ
 ドタキャンしてしまった…。
 先生、ごめんなさい。
 
 kz、帰宅。運良くガソリン入れられたらしい。
 夜、余震が続く。
 息子たち、ぐっすり眠れているだろうか。
 kzが寝室を覗いてみると
 ひとつの布団で一緒に寝ている。
 誰かと一緒にいると
 そしてぬくもりを感じていると
 少しは安心するのかもしれない。

 
 庭の白梅が満開、
 桜のつぼみもふくらんでいる。
 
 今年は庭のフキノトウやコゴミ、
 タラノメとか食べられないのだろうか…。
 多分、fuは気にせず食べると思うけれど。
 
 ウチの庭はともかく
 東北は稲作をはじめ、農業、漁業、畜産、
 酪農…つらい現実が山積み。
 せめて風評被害にさらされないように
 なにか良い対策があるといいのだけれど。

 キムタク、イスカンダルへ行って
 「放射能除去装置」持ち帰ってくれないかな…。

2011/3/17 (Thu)
16.march'11 @ez「地震が起きたその前後の家族の記録 7 」



 水曜日。
 息子たちは終業式、kzが車で送っていきました。
 お弁当、水筒持参です。
 kzが帰宅してしばらくすると「計画停電」に。
 停電の間、所用を済ませようと二人で外出したところ
 かなり広範囲でしかも不規則なエリアで
 停電していることがわかりました。
 会計事務所や銀行、郵便局、スーパーなど
 必要なところで用事を済ませ、
 明日から春休みの息子たちのために
 TSUTAYAに寄ったのですが、どの店舗も休業中。
 
 噂通り、ガソリンスタンド渋滞がすごいことに。
 私の車のガソリンもすでに半分。
 kzは仕事柄、運転しないわけに行かないので
 なるべく南下して入れる予定らしい。
 灯油も大事に使わないと…。

 youのスイミングスクールからも
 プール点検のためしばらく休業との連絡。

 小学校までお迎え。
 通知表は金曜日に保護者が受け取りにくるように、とのこと。
 今学期いっぱいで転校してしまう子のママに
 ご挨拶して、二人を連れ帰る。
 二人とも、なるべく外出をひかえるように言われたらしい。

 午前中の停電は終了。
 予定表では夕方5時以降も停電の可能性があるらしいので
 早めに炊飯器のスイッチを押し、
 お風呂にも入ってしまいました。

 今日はyouのピアノのレッスン日。
 ちょっと迷いましたが、やはり行く事に。
 先生のお宅も外壁のタイルが一部割れたり、
 壁に吊っていた自転車が落下してバラバラになっていたり
 エアコンや空気清浄機が破損したり
 いろいろ大変な様子でした。
 しかも那須から避難してきた赤ちゃん連れのご家族もいて
 なんだか大家族な雰囲気。
 とりあえず大切なピアノは無事で良かった、と
 おっしゃってたのですが、youが弾き始めると
 完全に調律が狂っている…。
 先生も思わず深いためいき。

 結局夕方の停電は行われませんでした。
 近所のママからのメール、
 「オール電化住宅なので、朝から晩までおにぎり作ってる」
 とありました。
 オール電化、便利だけれどこういう災害時は
 つぶしが効かない。原発のこともあるし、
 これからどういう展開になっていくのだろう。
 

2011/3/16 (Wed)
15.march'11 @ez「地震が起きたその前後の家族の記録 6 」



 火曜日。
 kzが車でleeを小学校まで送ってくれました。
 卒業式が終了し、大学から小学校へ戻ってきたleeを
 kz、youと一緒に車でお迎え。
 
 待っている間、お母さんたちと被害状況などを
 話していると、住んでいる地域や
 建物によって同じ市内でも随分状況が違うようで。
 
 「室内のすべてのものが倒れ、割れて
 外出先から戻って玄関ドアを開けようとしたけれど
 倒れた家具などで開かなかった」
 「2日間、室内では土足暮らし」
 「炊いている途中だったご飯が炊飯器ごと
 室内中に飛び散っている」
 「鮮魚の卸をしている親戚は仕入れ不可状態で
 多分このまま倒産してしまう」
 「夫はしばらく自宅待機」
 などなど、みんな一様にためいき。

 帰宅途中、公文に寄って宿題プリントを受け取る。
 fuより年上であろう代表の先生と状況確認。
 大地震当時、公文では乳幼児クラスだったそうで
 乳児、幼児、園児とその母親、
 そして一年生数名と先生。
 先生方はガラスの大きなシェルフを必死で抑え
 母親たちは我が子を抱いたまま
 プリント棚が倒れないよう、片手で懸命に抑えていたらしい。
 先生方も自宅が心配だったようですが
 子どもたちのお迎えがなかなか来なくて
 結局7時過ぎに退出、清原方面の自宅へ。
 自宅の壁は崩れ、家は傾き、
 室内は大変なことになっていたらしいのですが
 病気で寝ていたご主人は幸い無事だったそうです。
 その後ニュースで震源地を知り、
 あわてて岩手に嫁いだ娘さんに連絡したそうですが
 電話がやっとつながって、元気な声を聞けたのは
 今朝になってからだったそうです。

 最後に「放射能が恐いから
 絶対子どもを外に出しちゃダメよ。
 昨日来たお母さんはしばらく関西に避難するって言ってたし。
 いざとなったら学校なんか休んでもいいから
 しっかり親が判断しないとダメよ!」
 と何度も念を押されました。

 公文の先生に放射能のことを言われた時
 正直なところ、ちょっと大袈裟じゃないの
 と、思ったのですが、二転三転するニュースを見ているうち
 手遅れになってはいけない!という気分に。
 松屋で昼食を済ませ、買物をして帰宅。
 庭でサッカーをしたいという息子たちを
 説得し、外出禁止を発令しました。

 夕方小学校から一斉メール。
 「水曜日、お弁当持参で登校、授業はなし。
 金曜日が終業式だったが、
 交通・停電などの状況を判断して
 木、金は休業とし、水曜日を終業式とする」
 というような内容でした。
 もちろん楽しみにしていた木曜日の遠足も中止。

 TBSラジオの「キラキラ」で
 東京電力及び政府の原発に関する発表に対して
 激しく批判をしていたレギュラーの上杉隆が
 番組終了後、即降板させられていて
 なんだか本当に放射能汚染、心配になってきました。
 放射能漏れに関してあまり関心がなかったkzも
 これにはさすがに驚いて、危険を感じたようです。
 ちなみにkzは上杉隆の大ファン。
 いつも言いたい放題の彼を
 「暗殺されないだろうか」と本気で心配しているほど。
 
 福島の現地からここまでおよそ150km。
 この距離、風向き、どうなんだろうか。
 46年間たいした病気もせず、成長し
 のほほんと生きてきた私はともかく、
 まだ成長途中で半分乳歯の息子たち、
 これから未来につながっていく命を思えば
 むやみに汚染させるわけにいかない。

 明日学校休ませようかな…。

2011/3/15 (Tue)
14.march'11 @ez「地震が起きたその前後の家族の記録 5」



 月曜日。
 いつ停電になるかわからないので
 一気に洗濯。
 相変わらず息子たちは暇をもてあましています。

 私のクライアントも無事だったようで
 何事もなく仕事再開。
 でもなんだか集中できない…。
 とはいうものの、どうやら停電もあるようなので
 macが動いているうちに
 出来るだけ進行しておかねばなりません。

 午後近所のスーパーに歩いていったら
 年末の買い出し以上に混んでいました。
 鮮魚、肉、牛乳、パン、卵、豆腐、納豆
 インスタントラーメン、レトルトカレーなどは
 ほぼ完売状態。
 仕方ないので、明太子とかキムチとか
 ご飯がいっぱい食べられそうなものを
 買ってかえりました。

 今晩はヒレカツ。冷凍しておいたヒレ肉が
 おとといの停電で半解凍状態になっていたので。
 
 ずっと悲惨なニュースを見ているのも
 気が滅入るばかりなので、前に録画しておいた
 「東京の五つ子ちゃん」のドキュメンタリーを観る。
 もう高校二年生なんだねー、と感動してしまいました。
 ご両親、立派だなあと…。
 その幸せそうな家族の様子と
 その後に観た被災地のニュースの明暗が
 あまりにもつらい…。
 手をつないで一緒に逃げていたのに
 子どもと妻だけ波にさらわれて
 行方不明になってしまったという男性。
 園児たちをのせた幼稚園バスも行方不明だという。
 そして海岸に打ち上げられる無数の遺体。

 いつもの生活に戻らなければと思うのに
 なぜかぼんやり、この空虚しさはなんだろう。
 戦って乗り越えるというより
 通り過ぎるのを待つことしかできない歯痒さ。
 突然、列を乱されたアリのごとく
 私たちは無力なのだろうか。
 

2011/3/15 (Tue)
13.march'11 @ez「地震が起きたその前後の家族の記録 4」



 日曜日、
 さすがに疲れてしまって朝寝坊。

 大人たちがバタバタしているのを尻目に
 遊び呆けていた息子たちをつかまえて
 勉強させる、が
 宿題や公文のプリントなどすべて学校に
 置いたまま帰宅してしまったので
 材料不足。

 午後kzもやっと落ち着いてきたようでひと安心。
 食中毒や風邪と異なり、
 ウィルスさえ排出されれば
 意外と早く復活できるようでなにより。

 小学校から一斉メールが何回も届く。
 結局、月曜日は全員休校となり
 火曜日の卒業式は、体育館がまだ
 安全確認がとれていないという理由で
 大学の体育館で執り行われることになりました。
 高学年だけの参加のため、youはお休み。
 給食が用意できないため、水曜日木曜日はお弁当…。
 小学校も状況が刻々と変化しているらしい。

 夕食は讃岐うどん、kzはおかゆ。
 まだ余震が続いています。

2011/3/15 (Tue)
12.march'11 @ez「地震が起きたその前後の家族の記録 3」



 土曜日の朝、まだ電気も電話もつながらない。
 昨夜は絶え間なく続く余震で熟睡できませんでした。
 
 でも気持ちを切り替えて荒れ放題の室内を片付ける事に。
 まさか年末でもない今、断捨離を実行することになるとは…。
 掃除機が使えないのでホコリや花粉で目が痛い。
 途中、息子たちとkzは、未だ近所なのに電話がつながらない
 kzの実家の様子を見にいきました。
 その間私とfuはひたすら後片付けに明け暮れていると
 3人帰宅、実家は無事だと聞いてホッとひと安心。

 ガス、水道は使えるのでお昼ご飯はトマトとツナのパスタ。
 そしてカステラ。
 麺類と白米はストックが十分あるのでとりあえず、
 食料に関してはあせっていませんでした。
 食後、片付け再開。
 午後1時過ぎ、便座が暖かくなっていることに気付く。
 停電が解除、ありがたい。

 ああそしてやっとどうにか片付け終了。
 それから恐る恐るmacを起動、無事を確認
 途中になっていたデータもちゃんと残っていた!
 シェルフから宙づりになっていたプリンターも大丈夫。
 掃除機をざっとかけてすっきりしたところで
 やっと入浴!お風呂最高!!

 そして今夜はテレビを見ながらカレーライス。
 停電の間、ずっとラジオは聞いていたけれど
 やはり映像で見る被災状況は想像以上に酷いものでした。
 すぐ隣りの県の出来事とは信じられません。
 人も車も家もあんなにもろいものなのか、
 何もなす術はないのか。
 家族の無事を感謝せずにはいられません。
 いつもは食欲旺盛なkzも、
 さすがに今夜はワインを飲んだだけで
 カレーライスには手をつけず。

 息子たちが眠り、
 kzが眠ったその後も
 私はニュースに釘付け。
 次々と拡大していく被害状況と
 終わらない余震に眠る気にもなれず…。

 すると10時過ぎにkzが
 「胃が痛い。我慢できない」と言って突然嘔吐。
 その後七転八倒していたので、
 急遽夜間救急病院へ連れていきました。

 いつもは多くの車が走っている環状線も
 ガラガラ、ほとんど走っていません。
 スーパーもコンビニも閉店している。
 開店していたのはマクドナルドだけでした。

 病院までは5分程度でスムーズに到着、
 しかし病院内は大混雑だった…。
 地震の影響というよりは、インフルエンザなどだと思いますが
 人が溢れています。
 受付後、奥のトイレ前の長椅子を陣取り
 はずかしげもなく膝枕で身体を丸め、胃痛に耐えるkz。
 嘔吐と下痢に苦しみ、脂汗をかいてぐったりしている
 kzが診察してもらえたのは午前1時ごろでした。
 診察の結果は予想通りノロウィルス。
 家族全員同じものを食べたはずなのに…という
 疑問も持ちつつ、点滴をしてもらい薬を受け取り
 家に着いたのは、もう3時過ぎでした。
 多少薬が効いてきたらしく
 やっと眠りについたkz。

 あー今日も疲れた。
 明日こそ穏やかな日が戻ってきますように。

2011/3/14 (Mon)
11.march'11 @ez「地震が起きたその前後の家族の記録 2」




 最後の交差点を曲がり、右折すると
 近所の人たちが道路に出て話し込んでいました。
 我が家は果たして…。
 ああ、いつもと変わらない姿で佇んでいる!
 
 ホッとしてまわりを見回すと、
 正面の家と隣りの家の大谷石の塀が崩れ落ちています。
 近所の築30年くらいの家々の屋根瓦が崩れている。

 こうしてはいられないと慌てて玄関を開けると
 予想通り、強盗が入った後のような状態になっていました。
 息子たちが「fuちゃーん!大丈夫?」と大声で叫びながら入っていくと
 「おかえり」と力のない声。
 散乱した部屋の中のこたつに、脱力状態で座り込んでいる。

 「fuちゃん、生きててよかったよー!」とyou。
 家はものすごく揺れてどうしようもなかったらしく
 庭に出て、揺れが収まるまでしゃがみ込んでいたらしい。
 その後室内に戻ると、ブラウン管テレビやプリンターは落下、椅子は倒れ
 瓶類は転がり、襖にはめ込んであるガラスは割れ、
 クローゼットの引出しが飛び出し、本棚は雪崩…。
 表にまわると、灯籠がみんな倒れていて、数枚の瓦が落ちている…。
 ああ、その様子をみただけでどっと疲労感に襲われたらしい。
 それでもこの程度で済んだのは、不幸中の超幸い、と言っていいと思う。

 近所の古びたお寿司屋さんでは食器がすべて割れたらしいし、
 家の裏にある車のショールームでは
 数メートルの高さがあるガラスが割れて落下、粉々。

 物思いにふけったりしてる間もなく、夕暮れがせまっています。
 すでに停電になっていたし、まだkzと連絡もとれていません。
 さあ行動開始!まず貴重品をバッグに詰め、
 それから食料品などと靴、ライターやダウンジャケット
 イワタニのガスコンロ、ペットボトルなどを縁側に用意。
 息子たちにはしっかり厚着をさせました。

 そして、ライフラインが完全に断たれた場合に備えて
 買物にでてみました。しかし、大型スーパーはすでに閉店。
 ガラスが割れていたり、看板がおちてしまった店舗もありました。
 コンビニも閉店。これ以上遠くに行くと渋滞に巻き込まれそうだったので
 あきらめて帰ろうとした途中、懐中電灯を点けているパン屋を発見。
 駆け込んで買えたのは最後のひとつ、
 1/4個のナッツとベリーがぎっしり入ったパン。

 家に着いた頃にはすっかり日が暮れていました。
 まだ揺れています。
 ありがたいことに、電気と電話を除けば水道もガスも使えました。
 ストーブも灯油だから大丈夫、と思ったら
 ファンヒーターは電気がないと作動しない!
 お風呂もガスなのに電気無しでは使えず、
 結局暖房設備は全く使う事ができませんでした。

 で、今夜は土鍋で雑炊を作り暖かくないこたつ、懐中電灯の晩餐。
 普段雑炊など見向きもしないleeが「おいしい、おいしい」と何回もおかわり。
 
 その時、やっとkz帰宅。
 ログハウスの現場で仕事をしている最中、地震にあったそうですが
 ログはもうしっかり組み上がっている状態だったので
 何の心配もせず、しっかりいつもの時間まで仕事をしてきたらしい。
 ところが途中、信号の停電などあり大渋滞、なかなか帰宅できず
 携帯もつながらず…ということだったらしい。

 とにかく全員無事でよかった。
 雑炊を食べたあと、妹夫婦から借りたままになっていた
 ランタンを灯し、冷蔵庫も停止してしまったので
 今まで出し惜しみしていたブルーチーズやパルマ産生ハムや
 フレッシュオリーブ、夕方やっと手に入れたパンを出してきて
 ワインを1本半空けてしまいました。
 
 家のまわりに灯はひとつもなく、驚くほどきれいに星が見える。
 これがキャンプだったらどんなに楽しい夜だろう。
 が、現実逃避は叶わず。
 楽しい気分には到底なれるはずもなく、
 お酒で少し身体が暖まった勢いで
 家族揃って早い時間に眠ってしまいました。
 一晩中続く余震におびえて熟睡できないyou。
 不安な夜が更けてゆきます。

2011/3/14 (Mon)
11.march'11 @ez「地震が起きたその前後の家族の記録 1」


 3月11日金曜日午後2時20分から
 私は小学校で行われたyouのクラスの劇の発表会を
 見学に行っていました。

 1階の教室で無邪気な2年生児童による「かさこじぞう」を
 クラスメートの保護者の方々とほほえましく鑑賞し、
 終了後全員で机と椅子を片付けている最中、
 突然足元が大きく揺れ出しました。

 最初は「二日酔い?貧血?」と思い、
 そのまま片付け続けようとしていたのですが
 誰かの「地震!」という声を聞き、あわててその場にしゃがみ込みました。
 いままでの地震ならこのあたりで止まるところですが
 いっこうに揺れは収まらず。
 中庭に面した扉付近にいた私は、ついいつものクセで
 扉を開けて外に出ようとしてしまい、
 「まだ外に出ないで!」と先生に注意されてしまいました。
 
 皆机や椅子の下に頭を隠し、じっとしています。
 低学年の机では大人は頭を入れるのが精一杯。
 10分たった頃、やっと校庭に避難指示が出ました。
 長い人生、避難訓練の経験は何度もありますが
 本番の「避難」ははじめて。

 子どもたちは落ち着いて整列しています。
 慌てて転倒した父兄もいましたが、混乱することもなく
 小学生、中学生ともに全員退避終了。
 小学一年生は下校後だったので、
 全員無事帰宅できたかどうか
 父兄の方々はずいぶん心配されたことと思います。

 体育の授業中だった子どもたちの中には
 半袖半ズボンの子もたくさんいて震えています。
 女子児童の中には、恐さのあまり泣きじゃくる子も。
 ふざけている子もいて、さまざま。

 いちばん安全と思われる校庭の真ん中にいながらも
 地面は絶え間なく揺れていて、感覚が麻痺してきます。

 30分くらい経った頃、西東京の妹から安否確認の電話がかかってきました。
 その後、自宅のfuや仕事場のkzに電話やメールを送ったのですが
 結局夜遅くなるまで繋がりませんでした。

 しばらくすると、心配した父兄が続々と迎えにきました。
 学校から一斉メールにて「迎えにきてください」と連絡が入ったとのこと、
 でもなぜか私の携帯には一切メールが届かない…。
 ああ、偶然学校にいて良かった。
 結局その一斉メールが私に届いたのは、午後5時過ぎてからだったから。

 息子たちの小学校では、バス通学がほとんどなので
 父兄の迎えも自家用車が多数です。
 校内では外の様子が全くわからなかったのですが
 駆けつけた父兄から「室内の食器が割れて散乱している」
 「信号が消えて事故が起きている」「ブロック塀がくずれた」など聞き、
 この時はじめて、大変なことになっていることがわかりました。

 保護者が迎えにきたことを担任がチェックした後、
 順次帰宅の許可が下りました。
 しかし余震が続いていたため、校舎に戻ることは許可されず
 子どもたちは上履きのまま、リュックも携帯も
 すべて学校に残したまま下校することになりました。
 近所のお子さんも連れて帰ろうと思ったのですが、
 やはり携帯がつながらず連絡がとれないため断念、
 息子ふたりを連れて帰宅することに。

 小学校近くの商店などはいつもと変わらないように見えました。
 ところがFMをつけてはじめて知った地震の規模。
 そしてだんだんと渋滞がはじまり、信号が消えている交差点が増え、
 古びたスナックの屋根が半分落ち、ブロックが崩れ、看板が剥がれ…。
 目に見えるその状況とFMから流れる被害速報に
 明るかった息子たちの表情もだんだんと不安な色に。

 「fuちゃん、大丈夫かな」「家、つぶれてないかな」
 実はこの時、私も同じことを思い、とても不安に苛まれていました。
 壁にかけてあるたくさんのフォトフレーム、オープンシェルフの食器類、
 重い屋根瓦に対して明らかに少ない柱数。
 家にひとりで残っているであろうfu、そしてやりかけの仕事のデータ…。

2011/3/12 (Sat)
12.march'11 @ez「現状」


 ご心配されている方がいらっしゃるかもしれません。
 我が家はとりあえず、無事です。
 室内が多少荒れていますが
 住まいも今のところ大丈夫です。
 やっと本日午後になって
 電気が使えるようになりましたので
 この場でお知らせいたします。


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